よく大文字焼と表現されることがありますが
京都の人に「大文字焼」と言ったら怒られます。
毎年8月16日に行われる再び冥土に帰る聖霊を
送るための宗教的行事で、起源自体はいろいろな
俗説があるものの確実なことはわかっていないようです。
市内川沿など開けたところから遠望することが出来ますので
静かに手を合わせて先祖に思いを馳せるのが慣わしです。
午後8時に東山如意ケ嶽「大文字」がまず点火され
松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、
金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、西賀茂船山の「船形」、
嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」の順に点火されます。
【各山の解説】文献はWikipedia
◎大文字 東山如意ケ嶽 点火午後8時
所在地:京都市左京区浄土寺七廻り町
山 名:大文字山
火 床:75ヶ所 薪数600 松葉100 麦わら100
保存会:浄土院の檀家による世襲制。
もともとは一帯の山塊を「如意ヶ岳」と呼んでいましたが、
現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、
最高点である主峰(472m)を「如意ヶ岳」と呼んでいます。
特に「左大文字」と区別するときは「右大文字」や「右の大文字」とも言われます。
大の字の中央には大師堂と呼ばれる、弘法大師を祀った小さなお堂があります。
地元浄土寺では、大の字は人の形を表し、人間の75の煩悩を
燃やし尽くすといった意味があるとの言い伝えがあるようです。
嘉永6年(1853年)に記された文献が残っていますが、
それ以前のものは浄土寺村での大火で焼失してしまい、
詳しい成り立ちは不明のようですが地元では弘法大師起源説
が支持されていると言われます。五山の中では
一般の人間が原則として自由に登れる唯一の山です。
登り口は、送り火の時にも使われる銀閣寺の北側からが主ルートです。
大文字山(如意ヶ岳)の地元地域の人には他山との違いと尊称の意味も含め
古くから山そのものを「大文字さん」と呼ぶ人が多いと聞きます。
◎妙 松ヶ崎西山 点火午後8時10分
所在地:京都市左京区松ヶ崎西山
山 名:万灯籠山
火 床:103ヶ所
保存会:涌泉寺の檀家による世襲制。
◎法 松ヶ崎東山
所在地:京都市左京区松ヶ崎東山
山 名 大黒天山
火 床:63ヶ所
保存会:涌泉寺の檀家による世襲制。
徳治2年(1307年)、松ヶ崎の村民が日蓮宗に改宗したときに
日像が西山に「妙」の字を書き、
下鴨大妙寺の日良が東山に「法」の字を書いたと言われています。
「妙」の字付近は、近くに京都市水道局松ヶ崎浄水場の配水池があるため
一般人は立ち入り禁止になっています。
「法」では火床の担当を町ごとに順繰りで交替することが慣わしですが
「妙」では家ごとに担当の火床が決まっています。
そのうちうち2基は浄水場の職員が担当することになっています。
点火の際は「妙」の山で読経が行われます。
送り火終了後の午後9時頃から約1時間涌泉寺で
「題目踊り」「さし踊り」が行われています。
薪数は両山で400束、松葉が170束です。
◎舟形 西賀茂船山 点火午後8時15分
所在地:京都市北区西賀茂船山
山 名:船山
火 床:79ヶ所 薪数400 松葉130
保存会:西方寺の檀家による世襲制。
船の形は、承和14年(847年)、唐からの帰路に暴風雨にあった
西方寺の開祖・慈覚大師円仁が「南無阿弥陀仏」と名号を唱えたところ
無事到着できたという故事に因んでいると伝えられています。
当日は朝早くから割木が山上へ運ばれ点火の準備が行われます。
山麓の西方寺で鳴らす鐘を合図に、山上の送り火が点火され
送り火終了後、西方寺で、六斎念仏が行われます。
◎左大文字 大北山 点火午後8時15分
所在地:京都市北区大北山鏡石町
山 名:左大文字山
火 床:53ヶ所 薪数350
保存会:法音寺の檀家による世襲制。
当日午後7時頃法音寺(衣笠街道町)の親火台で護摩木が焚かれ
点火法要が行われます。その火で新火松明(1基)、
手松明(約40本)の順に点火されます。
同時刻に街道筋の25ヶ所の門火が一斉にともされ
火は山上へ運ばれて山上の送り火が点火されます。
◎鳥居形 嵯峨鳥居本曼荼羅山 点火午後8時20分
所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町
山 名:仙翁寺山
火 床:108ヶ所 薪数108
保存会:他山と違い唯一、寺の檀家の世襲ではなく有志。
当日午前8時頃山麓から松明が山上へ運ばれ、
午後4時頃から点火準備にとりかかられています。
当山の松明は、松の根の部分(じん)を束にしたものを
縦に組んで鉄製火床の上に立てられます。
松ヤニが入った松を使うため、火の色が
他山とは少し違いオレンジに近い色に見えます。
▼更に詳しい解説は京都五山送り火連合会のページへ
こちらから
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