日本の三大祭の一つに挙げられる祇園祭は、
毎年7月1日から31日までの1カ月間、
京都市内の中心部や八坂神社(東山区)で行われます。
クライマックスとなる山鉾巡行と神幸祭(いずれも17日)をはじめ、
1ヶ月の間多彩な祭事が繰り広げられます。
2009年9月にユネスコより無形文化遺産に登録されました。
■由来と歴史
平安時代前期の869(貞観11)年に京で疫病が流行した際、
広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、
当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、
祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて
災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされます。
応仁の乱(1467-77年)で祭りは一度途絶えましたが、
1500(明応9)年に町衆の手で再興されました。
以後、中国やペルシャ、ベルギーなどから齎された
タペストリーなどを各山鉾に飾るようになりました。
これらの懸装品の豪華さゆえに、
山鉾は「動く美術館」とも呼ばれています。
江戸時代にも火災に見舞われましたが、
町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。
現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基です。
■見どころ
12日ごろの「曳初(ひきぞ)め」には、女性を含む
一般市民も参加できます。16日の宵山までは、
各山鉾町ではちょうちんの明かりに照らされた
山や鉾を楽しむことが出来ます。
各山鉾では病気除けとされるちまきや、
学問成就や立身出世などの護符を手に入れることも出来ます。
17日の山鉾巡行は午前9時に計32基の山鉾が四条烏丸付近を出発し
四条通を東へ向かった後、河原町通を北上し、御池通を西進します。
四条麩屋町での、長刀鉾稚児による「注連縄切り」や、
鉾が各交差点を曲がる際の「辻回し」がハイライトとなっています。
また夕方には、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが
四条寺町の御旅所に向かう神幸祭があり、
24日には後の祭りと言われる「花傘巡行」と
みこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われます。
■粽(ちまき)
祇園祭のちまきは、厄除けのために各山鉾町で売られています。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、
八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が
旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、
お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、
その印として「茅の輪」を付けさせたのが始まりと言われています。
その後、茅の輪が変化してちまきになったのではという説が有力です。
授かったちまきは、家の門口につるしておき、翌年の祇園祭で
新しいちまきと取り替えるまでの1年間は
厄除け・災難除けとして重宝されているものです。
祇園祭のちまきは、食べ物ではありません。(食べられません)
通常は笹の葉をイ草で巻き、束にして作られているものです。
しかし2006年には黒主山保存会が、祇園祭で初の
「食べられるちまき」の販売を始めました。
食べられると勘違いする人もいることから発想を転換し、
生ふでちまきを作り、話題になりました。
■各山鉾のお守り
各山鉾では、お守りも販売されています。
お守りのご利益は、山鉾の由来によってそれぞれ異なっています。
役行者山のお守りは疫病よけや安産、交通安全をもたらす、といわれ
鯉山は立身出世、浄妙山は勝ち守りとされています。
浄妙山は源平合戦のきっかけとなった、1180年の宇治橋の戦いで
奮闘した筒井浄妙坊明秀に由来していると言われますが、
この合戦を機に源氏が立ち上がり、平家を打ち破ったことから、
勝ち運を呼ぶ山と言われているところから来ています。
霰天神山では、京都が大火に見舞われた際に
急にあられが降って鎮火し、霰とともに天神像が降りてきたと
伝えられることから、火除けや雷除けのご利益があるとされています。
■祇園囃子
祇園祭に伴う祭囃子の総称を指します。地域や地区により
曲調や曲目楽器構成は異なります。成立は室町時代の末期で
能楽の影響を強く受けています。今のような囃子になったのは
江戸時代で、楽器は鉦(かね)・太鼓・笛の3つで
普通少年期から鉦方として稽古を始め成人になって
太鼓方や笛方になるというのが伝統だったようです。
鉾によっても異なりますが、だいたい鉦方8名、
笛方8名、太鼓方2名の構成です。
囃子の曲目は、各鉾でそれぞれ30曲くらい持っているそうです。
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