先ほど、今年の長刀鉾のお稚児さんが
決定したとのニュースがありました。
やはり社長のご子息でないと務まりませんね。
前回に引き続き山鉾の紹介を致します。
ご紹介していない山が15基残っていますので
こちらの紹介をさせて頂きます。
【 山 15基 】
◇木賊山(とくさやま)
京都市下京区仏光寺通西洞院西入ル木賊山町の山。
世阿弥の謡曲「木賊」から着想され木賊刈りの老翁が
別れた愛児を思いながら舞う場面を表現している。
等身大の老翁像は足台に元禄5年(1692)の墨書があり
右手にかま、左手に木賊を持つ。
◇太子山(たいしやま)
山鉾の真木は松が通例だがこの山のみ杉を立てる。
聖徳太子が四天王寺を建立するさい、自らが良材を求め山に入り
老人に大杉の霊木を教えられ、六角堂をたてたことに由来する。
太子は日本の仏教の基を築いたことで知られ宗派をこえての
「太子信仰」が民衆の間に広くあった。山に飾る太子像は江戸時代の作。
トレードマークの鬟(みずら)に髪を結び
ふっくらした顔だち、白二重小袖姿で高貴な印象をたたえる。
◇白楽天山(はくらくてんやま)
2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子(もうす)をかむった
僧形が道林禅師の像。長恨歌などの名詩で有名な中国・唐の詩人
白楽天が道林禅師に仏法の大意を問いかけているシーンを表している。
この山も過酷な運命をたどっている。天明、元治の大火で
胴組や人形の胴を失いそのたびに巡行中断と復元を繰り返している。
◇綾傘鉾(あやがさぼこ)
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前のふるい鉾だが元治元年に焼けて以来
明治10年代に一時復活したもののふたたび中断。
ようやく昭和54年巡行を再開した。形の上でも変転を繰り返す。
江戸期どうした理由からか徒歩から引き鉾に変化
御所車風の屋根に風流傘が乗る古図が残る。
明治の復活では再び徒歩に。鬼形の踊り手を中心に
棒振り、鉦、太鼓のはやしかたが行列する。
◇蟷螂山(とうろうやま)
かまきり山とも呼ばれ文字どおりカマキリが屋根の上に乗り
子供たちも喜びそうな楽しい趣向だ。「蟷螂の斧」とは
自分の力のほどをわきまえず大敵に立ち向かうことだが
その勇猛さを賞した中国の君子の故事が出典。
町内の事情で明治初め以降巡行をやめたが復帰した。
◇四条傘鉾(しじょうかさぼこ)
1987年実に117年ぶりに巡行に復帰した。
元治の兵火のあとも巡行に加わっていたが明治5年以降消滅同然となり
道具類も散逸していた。綾傘同様、壬生六斎の棒振り、
囃子での協力が復活に力になった。祇園唐草模様の大傘に
錦の垂(さがり)で飾った花傘は応仁以来の傘鉾の原形を伝える。
赤熊鬼面の棒振、踊り手、囃し方が歩く様は地味だが素朴な魅力がある。
◇北観音山(きたかんのんやま)
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と1年おきの交代で山を
出していたといわれる。隔年にでるというのは例がなく
この両山だけ。もとはかき山だったが後に曳き山になった。
楊柳観音像と韋駄天立像を安置する。鉾ではないので
真木の代わりに真松を立てる。松は毎年鳴滝から届けられ、
籤で所有を決めている。史料には
「左三の枝に尾長鳥あり」とあるがいまは鳩が留まる。
北観音山に、尾長鳥が留まっている。
◇南観音山(みなみかんのんやま)
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので
南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」
といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。
楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は
三十三観音の筆頭とされ姿を変えて手に柳を持ち
薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。
この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。
◇橋弁慶山(はしべんけいやま)
山の御神体がなにを表すかは一目瞭然。五条の橋の上
牛若丸が軽々とぎぼしの上に飛び上がり弁慶が薙刀を構えるシーン。
足駄の前歯だけで人形の体を支えるこの躍動感は
とても500年も前の造形とは思えない素晴らしさだ。
かき山としてただ1つくじ取らずであったことや山籠真松もない
形式からも山の中では屈指の古いものであることが分かる。
◇鯉山(こいやま)
前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで
重要文化財に指定されている。ギリシャの叙事詩に題材をとって
人物や風景が描かれており山鉾きっての貴重なものだ。
人物でなく魚をテーマにするのは山のなかで唯一。
竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで
木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。
◇浄妙山(じょうみょうやま)
橋弁慶山に似てアクロバティックな人形の姿が人目を引く。
宇治橋の上、宇治川の合戦。一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の
頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。
揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは
強度の点で難しいが1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。
上下の人形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。
浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。
◇黒主山(くろぬしやま)
天神山が梅ならこちらは桜を松と共に飾り華やいだ雰囲気をかもす。
謡曲「志賀」のなかで六歌仙の1人、大友黒主が
志賀の桜を眺めるさまをテーマにしている。
杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、いかにも品格がある。
失火で町家(ちょういえ)を失ったのを機に5階建てビルにし
祭りのときだけ町会所にするのは時代をさきどりしたと話題になった。
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
◇役行者山(えんのぎょうじゃやま)
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者は自ら修行するだけでなく
庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。
人形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。
三者の関係はさだかではないが、大峰山と葛城山の
あいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。
人形が多いだけ山のサイズも最大級。
◇鈴鹿山(すずかやま)
鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。
畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上のエピソードも多い。
商人を狙う盗賊が多かったことが鬼が出るに転化したようだ。
この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。
大なぎなたを手に、立て烏帽子の女神の姿がりりしい。
◇八幡山(はちまんやま)
八坂さんの祭りに石清水八幡をまつるのは不思議だが
当時それだけ八幡さんが信仰されていたあかしだろう。
社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられる総金箔押しの華麗なもの。
前面の鳥居の笠木のうえに向かい合って
八幡さんのシンボルの鳩が2羽、止まっているのが愛らしい。
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